問題 1
短答式
江戸時代の前半に大阪・京都を中心に発展した文化を何といいますか?
(漢字4文字 「〇〇文化」)
元禄文化
元禄
元禄時代(江戸時代前半:1688~1704年)の、大阪(上方:かみがた)を中心とした町人文化です。文化の中心となった大商人たちの自由な気風を反映して、明るく活気に満ちたふんいきを持っています。 学問、文学、美術、演劇など、さまざまな文化が発展しました。
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元禄文化
元禄
元禄時代(江戸時代前半:1688~1704年)の、大阪(上方:かみがた)を中心とした町人文化です。文化の中心となった大商人たちの自由な気風を反映して、明るく活気に満ちたふんいきを持っています。 学問、文学、美術、演劇など、さまざまな文化が発展しました。
井原西鶴(いはらさいかく)は、 40歳を過ぎてから小説を書き始め、1682年にデビュー作『好色一代男』を刊行しました。『日本永代蔵』『世間胸算用』など、金を中心にした町人の生活を描いた作品が人気を得ました。『好色一代男』は、世之介という男の7歳から60歳までの54年間の愛情生活を描いた作品で、日本で最初の現実主義的な文学として高く評価されています。
杉田玄白
杉田〇〇(すぎた〇〇〇〇)は、江戸時代に活躍した医師で蘭学者です。オランダ語で書かれた医学書『ターヘル=アナトミア』を日本語に翻訳して『解体新書』を出版したことで知られています。
本居宣長(もとおりのりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師です。 当時の人たちが解読できなかった『古事記』を読み解き、『古事記伝』という書物を著しました。 『古史伝』は、江戸後期に平田篤胤(あつたね)が書いた本です。
藩校
藩校(はんこう)は、江戸時代に諸藩が藩士の子弟のために設立した学校で、儒学や武芸などを教育していました。藩士の子弟が農工商民の上に立つ指導者層になるための人格の形成と、教養の習得を目的としていました。
そろばん
ソロバン
算盤
寺子屋は、江戸時代に庶民の子どもが通った私設の教育機関です。 読むこと・書くこと・計算のしかたなどを学びました。 今の塾(じゅく)のイメージに近いです。
江戸時代にオランダ語を通じて西洋の学問や文化を研究した学問を、「蘭学(らんがく)」と呼びます。「洋学」とも呼ばれます。 蘭学の研究は洋書の翻訳を中心に進められ、医学や暦学、天文学、動植物学などが発展しました。蘭学を広めた人物には、前野良沢や杉田玄白、大槻玄沢、青木昆陽、シーボルトなどがいます。
化政文化
化政
徳川家斉が11代将軍を務めた時代(文化・文政年間:1804~1830年)を中心とした文化で、江戸庶民を中心として発展しました。「文化」・「文政」時代の「化」と「政」の文字を取って、「化政文化」と呼ばれます。
化政文化は、江戸庶民を中心として発展しました。江戸の庶民の性格を反映しており、現実主義・合理主義的な傾向や自由な人間精神の追求を特徴としています。
ペリーは、アメリカ海軍の提督で、1853年6月3日に、軍艦4隻を率いて浦賀(神奈川県)に上陸しました。アメリカ大統領フィルモアの親書を幕府に手渡し、開国を要求しました。
日米和親条約は、1854年に江戸幕府とアメリカ合衆国のペリーが結んだ条約で、日本の鎖国を終わらせ、開国への第一歩となりました。 条約の内容: 下田(静岡県下田市)と箱館(北海道函館市)の開港 アメリカ船が下田と箱館で燃料や食料、水の補給を行うことができる 下田にアメリカの領事館を設置する 遭難船の乗組員を保護し、水や食料を提供する アメリカ人に売る物品の値段は日本人が決めて良い 遭難や悪天候でない限り、船が下田や箱館以外の港に入らない
1853年の「ペリー来訪」、翌1854年の「日米和親条約」の締結により、日本の鎖国は終了しました。この日米和親条約によって、下田(静岡)と函館(北海道)のふたつの港を開港することになりました。その後もさらなる貿易のために、アメリカはもっと便利な場所に、より多くの港を開くように求めてきました。アメリカの圧力に屈した大老・井伊直弼は、1858年に「日米修好通商条約」を調印しました。
桜田門外の変は、1860年(安政7年)3月3日に、尊皇攘夷派の浪士たちが江戸城の桜田門外で江戸幕府の大老である井伊直弼を暗殺した事件です。 井伊直弼は安政の大獄で反対派を厳罰に処したため、水戸藩や薩摩藩の浪士らに襲撃されました。事件後、幕府の権威は失墜し、265年続いた江戸時代も終わりを迎えることになります。
尊王攘夷運動
尊王攘夷
そんのうじょうい
尊王じょうい
尊王じょう夷
尊王攘夷運動は、天皇を尊ぶ「尊王」論と、外国勢力を追い払う「攘夷」論が結びついた幕末の反幕府運動です。 「尊王」とは、天皇を王者として尊ぶ思想です。江戸時代は武家社会で、実質的に幕府の方が天皇よりも力が強かったため、この思想が生まれました。「攘夷」とは、外国人を追い払って通交しないことを意味します。日本を道徳文化の優れた中華国家として尊び、万世一系の皇室の存在を絶対視することから外国を夷狄とさげすみ、外国船を打ち払うという対外政略でした。尊王攘夷運動は、1858年に孝明天皇の許可を得ずを結んだ幕府への批判が高まったことで活発化しました。
尊王攘夷運動の中心となったのは、薩摩藩と長州藩というふたつの藩です。彼らは江戸から遠く離れた地方の武士だった(「外様藩」の武士だった)ため、幕府に対して不満を持っていました。
坂本龍馬は、幕末に活躍した土佐藩(現在の高知県)の武士で、幕府を倒した立役者の一人です。
戊辰戦争は、1868年(慶応4年)に始まった日本最後の内戦で、新政府軍と旧幕府軍が激しく戦った戦争です。戦争の名称は、1868年の干支である「戊辰」に由来しています。1868年1月に京都の鳥羽・伏見で「鳥羽・伏見の戦い」が起き、旧幕府軍が敗北しました。徳川慶喜が大阪城を脱出して江戸に向かったことで旧幕府軍は総崩れとなりました。旧幕府軍の残党は、榎本武揚や新撰組の土方歳三らなどを中心に後各地で戦いましたが、1869年5月の「五稜郭の戦い」で敗北し、戦争は終結しました。新政府軍は国内を平定し、明治維新によって近代的な国民国家の建設が進みました。