問題 1
OX
縄文時代は約1万数千年前から紀元前3世紀ごろまでの時期を指します。
縄文時代は今から1万年以上前から約2300年前まで続きました。 人々は、森で動物を狩ったり、魚をとったり、山で木の実を集めて生活していました。「縄文土器」という模様のついた土器を作りました。これに食べ物を入れたり、煮たりしていました。「縄文」という名前は、この土器の模様が縄(ロープ)の跡のように見えることからつけられました。

縄文時代は今から1万年以上前から約2300年前まで続きました。 人々は、森で動物を狩ったり、魚をとったり、山で木の実を集めて生活していました。「縄文土器」という模様のついた土器を作りました。これに食べ物を入れたり、煮たりしていました。「縄文」という名前は、この土器の模様が縄(ロープ)の跡のように見えることからつけられました。
土偶は、縄文時代に作られた土の人形で、まじないや祭りの道具として、豊作や安全な出産、子どもがたくさん生まれること、などを祈るために使われたと考えられています。
縄文時代のひとたちは、地面に丸い穴を掘り、その上に木や草で屋根を作った<たて穴住居>に住んでいました。 家の真ん中には「たき火」をする場所があって、火を使って体を温めたり、料理をしたりしていたと考えられています。
稲作は、約3,000年前(紀元前10世紀)に九州北部に最初に伝わったと考えられています。 縄文時代は、今から約1万3000年頃から約2300年頃まで、約1万年間続いた時代です。
三内丸山遺跡は、青森県青森市にある縄文時代の遺跡で、縄文文化を代表する遺跡として知られています。縄文時代前期中葉(約5,900年前)から中期末葉(約4,200年前)にかけて約1,700年間継続した集落の遺構や遺物が豊富に発見されており、縄文社会のさまざまな側面を理解する上で貴重な情報源となっています。
弥生時代、北九州の人びとは朝鮮半島と行き来して、鉄の素材や鉄器(鉄を使って作られた道具や武器)を手に入れていたことが、考古学の調査でわかっています。鉄は木や石よりもかたくて丈夫なので、鉄で作った道具は便利でした。 ・農作業に鉄でできた道具を使うことで、お米をたくさん作れるようになりました。 ・鉄の武器(剣や矛など)を戦いで使うことにより、ムラどうしの争いも変わっていきました。
薄くてかたい
薄くてかたい? 厚くてよわい?
前方後円墳は日本列島特有の古墳の形で、岩手県から鹿児島県までの地域に広く分布しています。 大和(やまと/いまの奈良県)や河内・和泉(かわち・いずみ/いまの大阪府)地方に多く集中しています。 3世紀中ごろに大和で初めてつくられ、7世紀の初めまで各地に造られました。 ヤマト王権と地方の豪族との関係を示すために造られました。 ヤマト王権の大王の墓として巨大な古墳が造られるとともに、同盟関係のある豪族の墓として各地に前方後円墳が造られました。 代表的なものには、5世紀の大仙古墳(仁徳陵古墳)や誉田御廟山古墳(応神陵古墳)などがあります
氏姓制度とは、朝廷が地方の豪族や仕える氏族に姓を与え、諸氏族を秩序づけた政治制度です。 氏姓制度のしくみ: ・ヤマト政権は各地を氏(うじ)という血縁に基づく集団に分けました。 ・氏を構成する人びとを氏人(うじびと)といい、その族長を氏上(うじのかみ)と呼びました。 ・氏上は外に対しては氏を代表し、内においては族長として氏人を統率しました。 ・氏上には地位を示す姓を与えられました。有力な一族には「臣(おみ)」や「連(むらじ)」という姓が与えられました。 ・豪族は氏と姓を世襲しました。
大山古墳(仁徳天皇陵): 全長 約486メートル 体積 約140万立方メートル 面積 約46万平方メートル ※東京ドーム約10個分 クフ王のピラミッド(エジプト) 全長 約230メートル 体積 260万立方メートル 秦の始皇帝陵(中国): 全長 約350メートル 体積 約300万立方メートル
外国から海を渡って日本に来て、住みついた人。 4〜7世紀ごろ、朝鮮半島(とくに百済(ペクチェ))・中国からおおぜいの人々が日本に来て、漢字・儒教(じゅきょう)・機織(はたおり)・造船(ぞうせん)など、進んだ大陸文化を伝えました。