問題 1
短答式
1333年に鎌倉幕府がほろびた後、後醍醐天皇が始めた天皇中心の政治を何と呼びますか?
(「◯◯の◯◯」)
建武の新政

建武の新政
足利尊氏
管領
将軍を補佐して政治全般をとりしまる役職です。 鎌倉幕府の執権とほぼ同じポジションです。 足利氏一族の斯波(しば)・細川(ほそかわ)・畠山(はたけやま)の3氏が交替でえらばれたので、これらの三家は、「三管領(さんかんれい)と呼ばれました。
足利義満
倭寇
1文字めの漢字は<日本の昔の呼び名>で、2文字めの漢字は<「敵」「侵入者」の意味を持つ漢字>です。2文字めの漢字は、鎌倉時代に攻めてきた元軍にも使われます。
日明貿易
日明
勘合貿易
勘合
第3代将軍足利義満の時代に、室町幕府の財政難を解決する目的目的と、明から倭寇(わこう)を取り締まるように要求されたことがきっかけになって開始されました。倭寇と商人を区別するために、勘合符(かんごうふ)を使用したので「勘合貿易(かんごうぼうえき)」とも呼びます。 日本から輸出したもの:刀剣・扇・びょうぶなど 明から輸入したもの:銅銭・絹織物・書画などが
室町時代(1336年~1573年)は、商業や手工業が盛んに発展した時代です。この時期、物を作ったり売ったりする商人や職人たちは、自分たちの仕事を守るために「座(ざ)」という同業者団体を作りました。 「座」は、同じ職業の人たちが集まり、お互いに助け合ったり、決まりごとを作ったりして、仕事をやりやすくするためのグループです。たとえば、商人たちは物を売る場所を決めたり、価格を決めたりしました。職人たちは、技術を学ぶための組織を作ったり、商品の品質を守るためのルールを作ったりしました。
馬借
室町時代の京都や奈良では、金融業を行っている業者が「土倉(どそう)」や「酒屋(さかや)」と呼ばれていました。これらの業者は、お金を貸すことを仕事にしていました。 「土倉」は、もともと土を使う商売をしていた人々が、次第にお金を貸す商売を始めたことから、この名前がつきました。彼らは、商人や農民にお金を貸し、その利息を得ていました。「酒屋」は、もともと酒を売っていた商人が、お金の貸し借りも行うようになり、金融業を営むようになったため、こう呼ばれました。酒屋も土倉と同様に、商人や一般の人々にお金を貸して、利息を得ていました。
アイヌ民族
アイヌ
琉球王国
琉球
金閣寺
金閣
第3代将軍足利義満が、京都の室町にあった邸宅(「花の御所」)で政治を行ったため、この幕府は「室町幕府」と呼ばれます。
銀閣寺を建てたのは、室町幕府の第8代将軍足利義政です。
北山文化(きたやまぶんか)は、室町幕府第3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の時代に栄えた文化です。特に京都の北山(きたやま)という場所の周辺で発展したことから、この名前がつきました。 北山文化の特徴は、華やかなものが多かったことです。足利義満が自分の別荘として建てた「金閣寺」が代表的な例で、金色に輝く美しい建物です。また、北山文化では、絵画や茶道、詩歌などが盛んになり、文化が大きく発展しました。さらに、北山文化は中国の文化の影響を受けており、禅宗の考え方や中国の芸術が日本に取り入れられました。これにより、日本独自の美術や建築が生まれました。
応仁の乱は、室町幕府の8代将軍・足利義政の後継者争いをきっかけに、1467年から11年間続いた京都を中心とした戦乱です。 応仁の乱の影響は次のようなものです: 室町幕府の力が衰え、戦国時代へ突入していく 京都から逃れた貴族や僧侶などにより、京都の文化が地方に広まった 中央集権的な政治の仕組みが機能しなくなり、地方分権が起こった
室町時代の守護大名(しゅごだいみょう)は、地方を治めていた強い武士たちです。守護大名は、室町幕府の将軍から任命され、各地の土地を守る役割を持っていました。彼らは、領地を管理し、治安を守るために軍を指揮したり、税金を集めたりしました。 守護大名は、最初は幕府の命令に従っていましたが、次第に自分たちの力を強めていきました。特に、戦国時代に入ると、守護大名は各地で独立し、領土を広げようと戦ったり、他の武士と争ったりしました。このため、守護大名は次第に「戦国大名(せんごくだいみょう)」として知られるようになりました。