問題 1
OX
縄文時代の土器は、表面に縄目の文様がつけられていることが多いです。
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銅鐸
どうたく
銅たく
銅鐸(どうたく)は、弥生時代に作られた青銅でできた鐘のような道具です。主に近畿地方や中部地方で見つかっていますが、全国に広がっていました。高さが1メートル近いものもあり、美しい模様が彫られているのが特徴です。銅鐸は音を鳴らすための道具ですが、実際には祭りや儀式で使われていたと考えられています。農業が盛んだった弥生時代では、豊作を願うために使われたとも言われています。人々が力を合わせて稲作を行う中で、銅鐸は村の団結を強める象徴だったのかもしれません。土の中にまとめて埋められているものもあり、大切な道具として扱われていたことがわかります。
土偶は、女性の形をしたものが多いです。特にお腹が大きい、妊娠した女性の形がたくさん見つかっています。有名なものに、長野県の棚畑遺跡で見つかった『縄文のビーナス』という土偶があります。縄文時代の人たちは、狩りや木の実などを集めて食べていました。女性が赤ちゃんを産むことを自然の恵みと考え、作物がたくさん育つようにお願いしたり、お礼をしたりするために土偶を作ったのではないかと言われています。 <写真はTakuma-sa - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21999417による>
吉野ヶ里遺跡は紀元前4世紀から紀元3世紀ごろの遺跡で、約700年という長い期間にわたってムラからクニの中心集落へと発展したと考えられています。
三内丸山遺跡
三内丸山
さんないまるやま
前方後円墳は、3世紀中ごろ~7世紀初頭頃につくられた古墳の形式で、北海道と沖縄を除く日本列島に広がりました。
仏教は、538年(一説には552年)に、百済(ペクチェ)をへて日本に伝来しました。
ワカタケル
『漢書』「地理志(ちりし)」に、中国前漢時代の日本について、「楽浪(らくろう)海中に倭人(わじん)あり、分かれて百余国となる」と書かれています。
須恵器は、古墳時代中期(5世紀初頭)に朝鮮半島から伝わった青灰色をした硬い土器です。朝鮮半島から日本に来た人々が、ロクロと窯という最先端の技術を日本に伝えたことで誕生したと考えられています。
貝塚
狭義の渡来人とは、古代の4~7世紀ごろに朝鮮半島・中国大陸から日本に移住してきた極東アジアの人々をいいます。 キリスト教は、1549年(天文18年)にイエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したことで日本に伝来しました。